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たまゆら~もあぐれっしぶ~ 第9話「心に灯す竹あかり、なので」感想

灯りかりかりのぞむおじ様。
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和馬の旧友である夏目望に「撮りたいものが真ん中に来ている捻りのない写真、ただシャッターを切っているだけ」と評される楓の写真。
これまで和馬を知る人は、その全員が好意的に接してくれたり昔の事を語ってくれていただけに、楓は戸惑いを感じずにはいられないでしょう。


誰か「捻りが無くてストレートなのは、お前の物の言い方だろ!と抗える者はおらんのかぁ?

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直球には直球を。
楓の写真が好きだと叫ぶドキドキかなえ先輩、さすがさすが。


まぁ実際のところ、望のは直球じゃなくて捻くれ球だったわけで。楓は望の言葉を聞いて、悲しんだり怒ったりしないどころか言葉の真意を汲み取ろうとしていました。

自分の中で「正」とするものを否定された時にどう反応するか。
ここって結構大事だと思ってて、言葉の背景を考えられる人に私はなりたい(突然何だ)
言われた事に対し脊髄反射的にクロスカウンターを決めるが如く、物凄い勢いで反論する人とかいるけど損してると思う。

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で、前回も少し触れましたが「自分が撮りたいだけの写真」「見て貰うために撮る写真」について。
どちらが良いという話ではないです。ただ、後者は見て貰う人の事を考えて撮らないといけません。その為には知識や技術を磨かないと、より多くの相手に良さを伝えられない。

楓はまだ何も知らないんですよね。
写真を撮る際の視点や構図、光の加減など。写真がブレないようにする道具についてもそう。

そういった知識を持っていた方が楽しいのか?
それとも、余計なことは考えずに写真そのものを楽しむ方が楽しいのか?
どちらも楽しいと思うし、この問いに悩むのは不毛な気がする。
そこで志保美さんや、望が語った和馬みたく"一番大切なもの"を忘れずに持ち続ける事が出来れば、色々と見失わないで済むんじゃないかと思います。

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でも知識を持っている側の志保美さんとしては、写真が持つ色んな魅力を楓に伝えたいはず。
そのための前回の出展勧誘であり、それが志保美さんのもあぐれっしぶなんだと自分は思っています。

それでも志保美さんは、楓に今のままでいて良いともアドバイスしました。
選択肢は狭めない。むしろ選択肢を増やしてあげるのが大人の役目。
楓の歩む道は楓自身が決められるように。
行き先の書かれていない切符をあげた志保美さんらしいな、と思いました。 



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望の仏頂面に小さく灯った笑み。
その微笑みは、昔友人たちと走り回っていた頃の満面の笑顔とは違ったけれど。
昔から変わることのない竹灯りがそうであるように、小さな灯りでも確かな温もりを感じさせてくれるのでした。

 
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